イスラム教 豚肉 食べない

世界では、宗教上の理由から食べられないものが存在しますよね。

 

なかでも、イスラム教を信仰する人が豚肉を食べないというのは有名な話ではないでしょうか…。

 

神が預言者たるムハンマドに授けた聖典・コーランには、信仰する人に豚肉を食すことを禁じていることが随所に記されています。

 

ただ、仏教徒の多い日本人から見ると、 「なぜ食べてはいけないのか?」と不思議に思う人も多いと思います。

 

そこで・・・イスラム教では豚肉を食べてはいけない理由や、食べてしまった際の罰則などについてご説明しますね。

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目次

イスラム教では豚肉を食べない理由!

実は、豚肉を食べてはいけないのはイスラム教だけでなく、仏教やヒンズー教、キリスト教など全ての宗教で禁じられています。

 

食べることはおろか、触ってもいけないというケースもあります。

 

日本でも、明治維新までは4足歩行の動物を食べると汚れるといわれ、ほとんどの人は食べていませんでした。

 

 

ただし、なぜ食べてはいけないのかという点については、はっきりした理由がないようです。

 

考えられるものとしては、第一に「不潔」ということが挙げられます。

 

「豚は綺麗好きな動物」という話を聞いたことがある人も多いと思いますが、飼い方を間違えると自分の糞尿などありとあらゆるものを食べてしまいます。

 

あまり痩せている豚を見ることがないのは、どんなものでも貪るように食べてしまうからです。

 

イスラム教徒から見れば、気が済むまで食べたら働くこともせずに寝てしまうという、 価値のない動物のレッテルを貼るに値する動物だったようです。

 

牛や馬、羊、山羊などは何らかの恩恵を人間にもたらしてくれますが、豚は乳を飲めたりすることもなく、人間のために働くこともありませんからね…。

 

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また、感染症を起こすなどの危険性もありますし、汚いものを食べた豚肉を食べることで「不浄な人間になる」といわれるようになったという説はかなり有力です。

 

実際、昔から豚は様々な伝染病を媒介してきた歴史があり、昔はよく加熱してから食べるようにといわれていましたよね。

 

 

実際、自分の糞尿を食べるのは豚だけでなく、鶏や山羊や犬も食べることがありますが、人間にとって何かしらの助けになってくれる存在ですよね。

 

つまり、他の理由も合わせ総合的に見ると・・・

・他の家畜に比べ価値がない。
・強い繁殖力があり、イスラム教の禁欲的(ストイック)な教義と反する。
・農耕民の家畜なので地位が低下している。
・人間と食べるものが重なってしまう。

などが挙げられているようです。

 

はっきりしたことはいえないのが実情ですが、これらの理由が積み重なり、イスラム教では今でも頑なに豚肉を食べることを禁じていると考えられています。

 

 

イスラム教徒が豚肉を食べたらどうなる?罰則は?

豚肉を食べたからといって、特に罰則は設けられていないようです。

 

明確な罰則はありませんが、仲間に知られたら白い目で見られるというのはあるかもしれません。

 

また、何らかの理由で豚肉を食べる以外生きる術のない状況に陥った場合、食べてもよいということになっています。

 

 

イスラム教徒に内緒で豚肉を食べさせたら?

万が一食べてしまった場合も、不可抗力であれば問題にはならないようです。

 

最近では揚げ物の油にも豚の油が使われていたり、加工食品にエキスが入っていたりしますよね。

 

特にイスラム圏を離れて生活している信者が、完全に食べないようにするのはなかなか難しくなっています。

 

コーランにも「やむを得ず、また意図せずこの法を犯したものには神の慈悲が注がれる」という記載があるそうです。

 

イスラム教徒でも信仰具合は人それぞれなので、人によっては 「神様に謝れば大丈夫」といってくれるようです。

 

ですが、わざと内緒で食べさせるのはやめたほうが賢明ではないでしょうか…。

 

敬虔な信者の場合、怒りを買うこともあるかもしれませんね。

 

 

ユダヤ教でも食べない理由は?

ユダヤ教でも豚肉を食べない理由は、イスラム教と同じく「汚れている」「人間と同じものを食べる」などが理由です。

 

ユダヤ教は旧約聖書のレビ書に基づき、食べてはいけないものを区別しているのでイスラム教より戒律は厳しいです。

 

豚に限らず、反芻しない、もしくは完全に蹄がわかれていない馬、猪、昆虫類、タコ、イカ、エビ、ウナギなども食べられないといいます。

 
 
また、肉と乳製品を同時に扱ったものも食べてはいけないというルールがあります。
 

私たち人間が「神の子」として誕生したと考えると、信仰心が厚いほど戒律を絶対とする意識も高いといえるようです。

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