お正月を迎える直前になると、12月28日頃を中心に正月飾りを飾る風習がありますね。

 

鏡餅もその1つですが、これは、新年の年神様をお迎えするにあたり、その依り代(よりしろ)にしていただくためのものです。

 

そして、正月気分が抜ける松の内を過ぎると、やがて「鏡開き」という行事を迎えますが、いつ行われているかご存じですか?

 

この日程には、徳川三代将軍家光が関与しているともいわれています。

 

それにしても、なぜこの行事のことを「鏡切り」「鏡割り」とは呼ばないのでしょうか…。

 

そこで・・・鏡開きを行う意味やその日程、行事の呼び方などについてご説明します!

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鏡開きの意味とは?全国的にはいつ行われる?

鏡開きとは、お正月(松の内)の間、年神様にお供えしていたお餅を割って食べる風習のことを意味します。

 

もともと鏡餅とは、歳神様が松の内の期間中に宿る場所(依り代)とされています。

 

その間に、年神様はこの1年を無事に生き抜くための力(魂)を鏡餅に宿らせてくださるのです。

 

したがって、松の内の期間も終わり正月気分も落ち着きを見せた頃、鏡餅を家族で分け合って食べることで、1年の無病息災を願うという意味を持つ重要な習わしが鏡開きです。

 

お餅と同時にこの魂を家族でいただくことは、「お年玉」発祥の由来ともなっています。

 

 

全国的には1月11日に行わうというのが一般的になっています。

 

ただし、関東と関西では松の内の期間のとらえ方なども異なるため、地域によっては1月15日に行われることがあります。

 

1月15日といえば「小正月」とも呼ばれ、各地では「左義長(どんど焼き)」なども行われていますので、その炎を利用してお餅を焼いて食べる光景も珍しくないようですね。
 
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鏡開きの日程と徳川家光との関係とは?

以前は、鏡開きの日程は 1月20日だったとされています。

 

これは、お正月飾りを飾っておく期間の松の内が過ぎてから行うものであるためですが、もともと全国的に1月15日までが松の内とされており、1月20日に鏡開きを行っていました。

 

しかし、徳川家光が亡くなったのが旧暦の4月20日で、いずれの月も20日は忌日として神事を避けるようになりました。

 

そのため、江戸を中心に鏡開きを行う日程が、旧暦の1月11日になったという経緯があります。

 

これに伴い、松の内の期間も旧暦の「1月7日まで」とするようになったといわれています。

 

 

新暦に移行した今でも、関東地方は1月7日までを松の内としていますが、関西では1月15日までと考えられているため、関西の一部地域では鏡開きの日程が1月15日とされていることもあります。

 

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なぜ「鏡切り」「鏡割り」と呼ばないの?

鏡餅をみんなで分ける時には、包丁などの刃物で切ってはいけないという決まり事があります。

 

これは、年神様にお供えし魂を宿らせていただいたものに「刃物を向ける」ということが失礼にあたるとされるためです。

 

また、当時は切るという言葉自体が「切腹」を連想させることから、縁起が悪いとされていたようです。

 

それならばと、木槌などで叩いて割るようにしていたことから 「鏡割り」という言葉も候補に挙がったようです。

 

しかし、昔から鏡といえば「円満」を表し、全てを映し出す神聖なものという意味合いもありました。

 

さらに占いなどにも使用されていたため、「鏡割り」という言葉も却下され、「切り」「割り」は忌み言葉とされ、使用することを避けていたといわれています。

 

最終的には「鏡開き」という言葉に収まりましたが、「開き」というのは「末広がり」を意味するため、縁起がよいと考えられていたためです。
 
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祝勝会などで酒樽の蓋を割るのも鏡開き?

結婚式や祝勝会などで、 酒樽の蓋(ふた)を木槌などで割る行為のことも鏡開きといいますよね。

 

これは、酒屋さんなどで酒樽の上の蓋のことを、丸い形にちなんで鏡と呼んでいたことに由来します。

 

ただし、酒樽の蓋を割る行為のことを、正しくは「鏡抜き」というそうです。

 

こちらの場合も、縁起がよいという意味で「開き」という言葉を使い始めたようです。

 

 

いかがでしたか?

 

神様の魂が宿った鏡餅を食べれば、1年間元気に過ごすことができそうですね。

 

年神様からのせっかくのお年玉ですので、雑煮やお汁粉などにしていただきましょう!

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